MUFGが描く金融DX「要の一手」_マネーツリー買収・当事者たちが語り尽くすその裏側

2025.12.05

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2025年8月29日、三菱 UFJ 銀行はマネーツリーの株式取得を完了し、同社を連結子会社化した。この買収は単なる M&A ではない。MUFGのサービスブランド「エムット」の中核を担うデジタルバンクにおける重要なピースであり、MUFG が描く金融 DX 戦略の要となる一手だ。

マネーツリーは約650万人のユーザーを抱え、2,500超の金融機関と接続する金融データプラットフォームを提供している。この豊富なデータと高度な技術力を、MUFG の約6,000万人の顧客基盤と掛け合わせることで、AI 時代の新しい金融体験を実現しようとしている。

しかし、メガバンクとスタートアップの統合は容易ではない。

文化の違い、意思決定のスピード、完成度へのこだわり——。この買収に至るまでには、2015年の出資から始まる10年の関係構築、2019年の三菱 UFJ イノベーション・パートナーズ(MUIP)による出資、そして18カ月に及ぶ交渉期間があった。

本稿は、この買収に深く関わったMUIP 代表取締役社長の鈴木伸武をモデレーターに、マネーツリー代表取締役のポール チャップマン氏、MUFG 執行役員 リテール・デジタル企画部長の山下邦裕氏にその全貌を聞いた「10年に渡る協業の記録」である。

エムット構想——2社が担うデジタル戦略の全体像

今回のマネーツリー買収を理解する上で欠かせないのが、MUFG が推進する「エムット」構想だ。これは単なるアプリのリニューアルではなく、MUFG の総合金融サービス全体を統一ブランドで提供する壮大なプロジェクトである。

ーー今回の買収は、MUFG のサービスブランド「エムット」構想と密接に関連しています。まずエムットの全体像について教えてください

山下氏:「繋がるほどに便利」というサービスを、MUFG の総合金融サービスのブランドとして打ち出したのがエムットです。そもそも MUFG のサービスは、サービス名もバラバラ、提供主体もバラバラ、しかもアプリはそれぞれが独立していました。

決済から資産運用を含めた顧客体験がバラバラというのが、すごく大きな課題だったんです。それを一つのブランドの下でわかりやすい体験として提供していこうと。エムットの口座、エムットカード、エムットの資産運用という形で展開していきます。

2025年6月にサービスインし、現在は1年半かけて機能を拡充している段階だ。エムットの中核サービスとして、2026年度中にデジタルバンクの一般開業を目標としており、そこにマネーツリーの技術とデータが不可欠な要素として組み込まれる。

エムットという名前も興味深い。実はロゴが先に決まり、M を中心として一連の体験を提供していく「@ マーク」的なコンセプトから生まれたという。他社サービスなどの例に倣い、一貫したメッセージを出して定着させることを重視した命名だ。

そしてエムット構想を支えるのが、2つの子会社だ。ウェルスナビとマネーツリー。この2社は単なる傘下企業ではなく、MUFG のデジタル戦略において欠かせない役割を担っている。

ーーエムット構想の中で、ウェルスナビとマネーツリーはどのように位置付けられているのでしょうか

山下氏:この2つの会社がなかったら、エムットやMUFGのリテールサービスが完結しないのです。そういう意味では、エムットを含めたデジタル領域におけるリテール戦略の中核がこの2社なのです。

山下氏が説明するのは、明確な役割分担だ。MUFG には約6,000万人の顧客基盤と膨大なデータがある。しかし、それを生かすためには2つの要素が必要だという。

一つは、データをセキュアな環境でちゃんとマネージする能力。もう一つは、それを AIやアルゴリズムでわかりやすく提案として提供していくノウハウ。前者がマネーツリーの強みであり、後者がウェルスナビの得意分野なのだ。

この2社の統合により、MUFG は「データ管理」と「AI提案」という2層構造のデジタル戦略を実現しようとしている。

10年に渡る関係構築

2015年から MUFG と関係を持ち、2019年に MUIP の出資を受けたマネーツリーが、なぜ最終的に買収に至ったのか。鈴木はその経緯をポール氏に尋ねた。

ーーこういった買収の提案を受けたとき、最終的に MUFG と一緒にやっていこうと決めたポイントはどこにあったのでしょうか

ポール氏:MUFG と弊社の歴史について少し語らせてください。2015年から三菱 UFJ キャピタルと話をして、その直後に第1回の MUFG イノベーションコンテストで賞を取りました。ただ当時は銀行のフィンテックに対する理解度がまだ浅く、私たちもかなり無知でした。

2019年に MUIP からの出資を受け、その直後に始まったのが Mable(メイブル)プロジェクトだ。Mable は三菱 UFJ 銀行が2020年にリリースした家計管理アプリで、マネーツリーとの連携機能を持っていた。このプロジェクトでは、成功も失敗も経験した。この時の教訓が、後の買収交渉において重要な意味を持つことになる。

2024年頃、マネーツリーは将来の成長戦略を見直す時期を迎えていた。

マネーツリーLINKというインフラ基盤は充実してきたが、それだけで十分に成長できるか。環境が常に変わる中で、将来の成長を担保できる大手パートナーを探すべきではないか——。そんな議論が取締役会で始まった。

ーー売却を本格的に検討されたとのことですが、どのような経緯だったのでしょうか

ポール氏:最終的にこれはすごく重要なのですが、スタートアップの方、特にアーリーステージの起業家の方にも読んでいただければと思うのですが——いろんな人と話しました。単なる金銭的リターン追求では、金融インフラとしてのミッションは長期的に実現できない。買収後のビジョンと、ミッション継続のための相互の信頼こそが最重要テーマでした。

ポール氏が強調するのは、エグジット後のビジョンだ。山下氏は交渉の中で、共同のビジョンを示し続け、マネーツリーのミッションへの尊重を正直に話し続けた。この姿勢が、ポール氏の信頼を勝ち取った。

最後のハードルは、過去の投資家への説明だった。スタートアップの株主には、当然ながら財務的リターンを求める投資家も多い。彼らに合意を得られる条件をまとめるまでに、全体で18カ月を要した。

ポール氏が語るのは「信頼関係は一朝一夕には築けない」という教訓だ。全く素性の知れない相手と条件だけで急に結びつくのではなく、長期的な関係構築が重要だという。ウェルスナビが先行して MUFG 傘下に入ったことも、山下氏の正直さを証明する材料となった。

一方、買い手側の MUFG はどう考えていたのか。鈴木が山下氏に、買収の意思決定プロセスを尋ねる。

ーー2015年の三菱 UFJ キャピタルの出資、2018年頃からのMableでの協業、その後ずっと協業の関係があった。だからこそ、最後はやっぱりMUFGと一緒にやっていこうという気持ちになったということですね。最初に銀行としてこの話を聞いたとき、結構驚かれたかと思いますが、買収という判断に至ったプロセスはどのような感じだったのでしょうか

山下氏:実はほぼ迷いはなかったです。今後、生成AIを含めてAIがどんどん進化していく世界において、企業の競争力を圧倒的に変えていくのは、そこにいかに質の高いデータをしっかり学習させるかということです。このリテール戦略を初日から考える時から意識していたことで、データの重要性というのは最初からあったのですよ。

山下氏の判断は明快だ。MUFG には約6,000万人分のグループデータがあるが、それだけでは不十分。豊かな家計簿データを持った個人のデータが必要だと考えていた。実際、マネーツリーを含めた複数のデータアグリゲーション企業を調査していたという。

そして山下氏が正直に認めるのが、Mableプロジェクトでの反省だ。当時はMUFG側の準備が整っておらず、マネーツリーに苦い経験をさせてしまったと振り返る。

山下氏:これから作っていくリテールの世界で言えば、我々自身が中から変わらないといけない。ウェルスナビもカンムもそうですけど、マネーツリーも一緒に入ってもらって、うちの文化を一緒に変えてほしい。我々だけで変えようとしても限界がありますから。絶対に参加してもらいたいと思っていました。

自分たちだけでは変われない。スタートアップの力を借りて、文化を変革しなければならない——。スタートアップと大手企業の協業には、こうした文化的なシナジーも含まれるのだ。

「MUFG をマネーツリー化したい」——文化変革への挑戦

買収が決まれば、次はPMI(ポスト・マージャー・インテグレーション)だ。メガバンクとスタートアップの統合は、文化の違いから容易ではない。山下氏はこの課題をどう捉えているのか。

ーー山下さんは強力なリーダーシップのもとでウェルスナビやカンムの買収を推進してきました。これだけスタートアップの買収を推進されている部署は他にないと思いますが、課題もあったのではないでしょうか

山下氏:むしろPMIの方だと思うのです。これはマネーツリーにもお伝えしましたし、本心なのですけれど、マネーツリーにMUFG化して欲しくなくて、MUFG をマネーツリー化したいのです。

山下氏は、ウェルスナビの全社集会でも同じことを語ったという。「MUFGをウェルスナビ化して、ウェルスナビをマネーツリー化して」——。この方針の背景には、組織の慣性の法則との戦いがある。

山下氏:頭ではわかっていても、体ってやっぱり慣性の法則があるから動かないじゃないですか。これをちゃんと変えていくために、いかにマネーツリーの文化を取り込もうという気持ちをこちらが持つ一方で、マネーツリーさん側も間違いなく、そうは言っても昔ながらのやり方の方が楽だと感じる部分って絶対あるのですよ。だけど、そこをこらえてもらって、筋トレみたいなもので言い続けてほしいと思っています。

山下氏が語るのは、双方向の努力だ。MUFG 側はマネーツリーの文化を取り入れる努力をする。マネーツリー側は、旧来のやり方に戻りたい誘惑をこらえる。この努力を双方が続けることで、徐々に体質が変わっていくと信じている。

買収において、マネーツリー側が最も重視したのは何だったのか。鈴木氏が尋ねる。

ーーマネーツリーさんは今回の買収を通じて何か変わることはあるのでしょうか

ポール氏:M&Aに合意する前提条件の一つとして、この重要なミッションを続けられることがありました。山下さんが「迷いなく」とおっしゃられたと思いますが、本当にそういうふうに見えていました。マネーツリーがやろうとしているオープンなプラットフォーム、多くの企業のシステム構築を支援していくというミッションを、Day1から理解してくださっていました。

ポール氏が語るマネーツリーの位置づけは興味深い。

同社は単なるSaaSアプリやAPI基盤ではなく、社会のインフラ基盤だと考えている。実際、LayerXやUPSIDERといった次世代ユニコーン候補企業が、マネーツリーのプラットフォームを活用している。実は日本のスタートアップエコシステムには共通インフラが不足している。データアグリゲーションの API 基盤を持つ企業は複数あるが、各社がそれぞれ1から構築しなければならない状況なのだ。

マネーツリーの役割は、その重要な社会インフラを提供することだという。そして MUFGと一緒になった後も、このミッションをオープンに提供し続けられることが最重要だとポール氏は強調する。

ーーMUIPが出資していたことが、今回の買収にどういう形で繋がったのかお話しいただければと思います

山下氏:まさに今回の全ての起点、きっかけを作っていただいたのが MUIP の皆さんじゃないですか。元々その出資という関係性自体はもちろん認識していますが、それだけだと表面的な関係というレベルです。そうじゃなくて、みなさんがご出資されて実際に中にも入って実態も見えているというのが、やっぱり我々にとっては追加で踏み込むときに大きな安心感がありました。

ポール氏も、鈴木氏がオブザーバーとして長年付き添ってくれたことを評価する。特に重要だったのは、オープンなプラットフォームとしてビジネスを展開し続けるというマネーツリーの方針を、MUIP が理解し支援してくれたことだ。

実は鈴木は前職のベンチャーキャピタル時代からポール氏と付き合いがあり、通算では10年以上の関係だという。

取締役として厳しいことも言ったが、逆に腹を割って話せる関係だったことが良かったと振り返る。Mableプロジェクトでの成功と失敗の経験も、MUFGグループへの大きな貢献につながると、ポール氏は確信している。

ポール氏が語るのは、相互尊重の重要性だ。

ポール氏:投資家とファウンダーの間でいろいろあると思いますが、相互尊重が重要です。相互尊重というのは信頼だけじゃなくて、お互いの違いを尊重し合えることですよね。山下さんから頂いた『よりマネーツリーらしくなってほしい』という言葉は、決して優劣の話ではありません。私たちが優れているというよりは、組織が変わるために必要な『新しい文化』を私たちが提供できる、という意味だと受け止めています。成功事例を見せることで、銀行グループ内のメンバーに「私たちもやりたい」と思ってもらう。それが、MUFG グループに大きな革新をもたらすきっかけになると考えています。

AI 時代の金融コーチ——MAP が実現する未来

話題は、デジタルバンクの中核機能である MAP(Money Advisory Platform)に移る。これは、ウェルスナビとマネーツリーの技術を統合して実現する、AI による個別化された提案機能だ。

ーーウェルスナビさん、マネーツリーさんとの連携の中で、今後どんなユーザー体験が期待できるのか、可能な限りでお話しいただけますか

山下氏:ベースとしては銀行のサービスと、そこにより差異化された要素としてのハイパーパーソナライズされたお客様への提案機能という2層構造になります。ベースのところについても十分に競争力のある手数料や金利水準にしますが、より中核はやっぱりその上のレイヤーです。これが今「MAP」という言い方をしていますが、単純なアルゴリズムだけではなくて、生成AIを活用していくことを検討しています。

山下氏が挙げる具体例は、日常生活に密着したものばかりだ。

資産運用領域では、AI が来月の賞与でキャッシュフローが5万円増えることを検知する。そして「このうち3万を NISA の積み立てに回すと、当初の目標が3ヶ月早く達成できそうですよ」と提案する。

家計管理では、「あなた、火曜日は大体コンビニでご飯を買って850円です。他の日はお弁当です。お弁当を1回増やせば、月当たりこれぐらい、年間これぐらいの節約になりそうですよ。そうすると旅行の積立の15%ぐらいに相当しますよ」といった具体的なアドバイスを提供する。

ローンの領域でも、「繰り上げ返済がキャッシュフロー的に50万ぐらいできそうですよ。それを住宅ローンでなく教育ローンに充てると、トータルの将来の支払いが例えば15万ぐらい減りそうですよ。そのまま繰り上げ返済手続きを希望しますか」といった提案が可能になる。

山下氏:いろんな領域でこのデータとAIが重なることで、本当にパーソナライズされた定量的な提案ができるようになります。ただ、そこにマネーツリー、ウェルスナビ、あとは銀行のデータを組み合わせることで、今お話ししたようなことは多分他にはできないけど、うちはできる。そういうのを目指して一つの体験を作っていきたいと思います。

個人のお客様1人1人に金融のAIコーチがつくーー。デジタルバンク自体は2026年度中の一般開業を目指しており、Day 1でそういった体験を一部実現したいという。最後に鈴木はマネーツリーの今後の役割について尋ねた。

ーー山下さんの構想を聞いて、マネーツリーさんとしては今後どのようにエムットに貢献していこうと考えていますか

ポール氏:先ほど申し上げたデータサイエンスをよりAI化して貢献したいということもあったのですが、今山下さんが解説してくださった詳細は非常に解像度が高い。技術面での連携に加え、弊社のユーザー基盤そのものが資産になります。彼らにプロトタイプを問うことで素早い改善サイクルを回し、最終的に『傑作』と呼べるレベルまで昇華させたサービスを、グループに対して提供できると考えています。

ポール氏が語るのは、いわば、本体のブランドを傷つけることなく革新的な開発を行う「スカンクワークス」のような立ち位置だ。三菱UFJ銀行アプリのユーザーは既に1,000万人に達している。いきなりこの巨大なユーザーベースで新機能を試すのはリスクが大きい。

一方、マネーツリーのユーザーは、新しい価値に対して非常にオープンで、実験的な試みにも寛容だ。彼らの深い理解と信頼が、リスクを恐れずスピーディーに正解を検証するための「守られた舞台」を提供してくれると指摘した。

この買収は単なる資本の再編ではなく、日本の金融業界における大きな変革の始まりだ。

メガバンクがスタートアップの文化を取り込み、スタートアップが大企業の信頼性とスケールを得る。その融合が生み出す新しい金融体験が、2026年度後半のデジタルバンク開業で現実のものとなる。

MUFGが目指す「MUFGをマネーツリー化する」という挑戦が、日本の金融DXをどう変えていくのか。その行方に注目したい。

MUFGが描く金融DX「要の一手」_マネーツリー買収・当事者たちが語り尽くすその裏側