
GenAIパラダイムのひとつのトレンドに「ツールからロールアップ」のシフトがある。従来、低生産性が指摘された業界にツールを提供し、生産性改善により算出されたコスト・アロケーションを狙ったのが SaaS モデルの典型的な勝ちパターンだった。
しかし、GenAIパラダイムではツールの提供ではなく、組織をまるごと買収してLLM をインストールするというモデルに注目が集まっている。
SV Angel や Lightspeed が支援する Multiplier はその一例だろう。6月にAラウンドで2,750万ドルを調達した同社は小規模〜中規模の会計事務所を買収し、自社開発の生成 AI で申告書作成・帳票突合などを自動化、利益率を倍増させる垂直統合モデルを仕掛ける。
しかし、案件の発掘から買収規律の設定、買収後統合(PMI)まで、実際の M&A プロセスには教科書では学べない現実がある。
9月に都内で開催した勉強会「スタートアップM&A最前線(主催:BRIDGE/共催:三菱UFJイノベーション・パートナーズ(MUIP)、マネーフォワードベンチャーパートナーズ(HIRAC FUND)」は、会場に集まった約60名の投資家・起業家たちにそのリアルな最新情報を共有する場となった。本稿ではそのイベントで語られた内容の一部をお伝えする。

登壇した newmo は2024年1月の設立以降、既存のタクシー事業者を M&A することで急速に事業を拡大。今年7月にはシリーズA 総額179億円でクローズし、大阪府内のタクシー事業者3社をグループ化。現在はタクシー車両1,000台超、従業員1,500人超の体制で、新たに自動運転タクシー事業への本格参入も公表している。
参考記事
- 地方×ロールアップは新たなスタートアップ戦略を切り開く #bdashcamp
- スタートアップM&Aは特別なことではない — newmo、カンムが語る新成長戦略【MUFG Startup Summitレポート】
一方の Dual Bridge Capital の寺田修輔氏と言えばやはり GENDA だろう。
2020年7月、寺田氏がミダスキャピタルの取締役パートナーに就任した直後の11月、同社投資先のGENDAはセガエンタテインメントのM&Aという一手で従業員約4,000人・約200店舗を抱える老舗を取り込み、当時40人規模から一気に業界の台風の目に躍り出た。
GENDAはその後も連続的なM&Aを実施し、アミューズメント施設の店舗ブランドを「GiGO」へ改称。そして2023年7月28日、ミダスキャピタルの運営ファンドが筆頭株主として東証グロース市場に上場した。
ミダスキャピタルグループ内のVCであるDual Bridge Capital では、他にも連続的な M&A を経営戦略を主軸とするスタートアップとしてセイワホールディングス、FUNDiT、BRAND PORT、ヨセミテ、newmo 等に出資している。
イベント当日はMUIPの佐野尚志をモデレーターに、大きく「ソーシング」「ホームランと再現性」「PMIとAI活用の現実」というテーマでお二人にお聞きした内容を共有したい。
案件発掘の現実

M&A は本質的にクローズドな成長戦略だ。優良案件が公開市場に出回ることは稀で、情報の非対称性が大きく、人脈とタイミングが成否を左右する。
佐野がまず焦点を当てたのは、ソーシング(案件発掘)の手法だ。ここで浮き彫りになったのは、業界特化型アプローチと投資家視点の体系的アプローチという、2つの異なる戦略だ。
青柳氏が取り組むのは、典型的なフラグメンテッド(分散)業界でのロールアップだ。タクシー業界は全国に数千社存在し、その95%が家族経営。この業界特性を理解した青柳氏のソーシング手法は、徹底的な業界密着型だ。
newmoではこれまで数十件の案件を検討し、そのうち3件を実行。地域的には大阪中心に絞り込み、PMI(買収後統合)のリソース制約から選択と集中を図った。
最も興味深いのは、業界特有のソーシングルートの存在だ。
一般の仲介会社に加えて、一部の専門誌がメディアと同時に仲介の側面を担うという業界の特徴があります(青柳氏)。
業界の人だけが読む専門誌の記者が、各社に出入りして情報を得る一方で、ときに M&Aの仲介役も担う。一般的な M&A 市場では考えられない、フラグメンテッド業界ならではの情報流通構造だ。
newmo が実行したM&Aについては、仲介会社経由と直接相談の両方がある。最近は専門誌や地域金融機関からの紹介も増えているという。
一方、寺田氏のアプローチは投資家として数多くの案件を手がけてきた経験に基づく、より体系的なものだ。基本的な考え方は明確で、10件検討して1件選ぶのと、1件検討して1件買うのでは、前者の方が良い案件を選べる可能性が高いため、まずは案件数を追うことが重要だと説く。
仲介会社、銀行、証券会社、直接営業など、ありとあらゆる手段を使ってソーシングを行ってきた寺田氏だが、量だけでなく質の重要性も強調する。
満塁ホームランを打てた M&A は、ほとんどの場合リファラルです(寺田氏)。
その典型例が、じげんによるリジョブの買収だ。アグリゲーション事業を手がけるじげんにとって、美容特化型求人メディアのリジョブは顧客レイヤーに位置する企業。買収すれば、コンバージョンレートの向上や CPA 抑制の方法が手に取るように分かる。まさに戦略的必然性のある買収だった。寺田氏が導き出す結論は、ソーシングの本質を突いている。
本当にいいソーシング対象の会社は、誰かが持ち込むものではなく、経営者の頭の中にあるはず。その会社は多分かなり近いところにいる会社であり、直接もしくは1人挟めば必ずつながれるので、そこを口説き落とすことが重要です(寺田氏)。
青柳氏の業界特化型アプローチと寺田氏の投資家視点アプローチは、一見異なるように見えるが、共通点がある。どちらも「戦略的に必要な会社」を明確に定義し「のどから手が出るほど欲しい会社」に最短距離でアクセスする戦略を取っている。
「ホームラン案件」の見つけ方と「再現性」の作り方

スタートアップにとって最も重要な疑問の一つが、確実に成功する M&A の法則は存在するのかということだ。
佐野が両氏に投げかけたのは、数多くの案件を手がけてきた寺田氏には「ホームラン案件をどう見つけるか」、地域特化でロールアップを進める青柳氏には「成功の再現性をどう作るか」という、スタートアップ M&A の根幹に関わる質問だった。
スタートアップにとって M&A は高リスク・高リターンの成長戦略だ。一度の失敗が致命傷となる可能性がある一方、成功すれば飛躍的な成長を実現できる。だからこそ、確実に成功する案件をいかに見つけ、その成功をいかに再現するかという2つの課題が重要になる。
寺田氏が明かしたのは、M&A 業界の常識を覆す法則だった。
ホームランは結構最初なんですよね。じげんにとってのリジョブは実質2件目のM&Aでしたし、バイセルにとってのタイムレスは実質1件目、GENDAにとってのセガエンタテインメントも50件超中の最初の3件目でした(寺田氏)。
この現象の背景には、スタートアップ特有のリスク管理メカニズムがある。経験が浅い段階では、経営者は戦略的必然性があり、手に取るように理解できる会社にしか手を出さない。確実に企業価値を高められる案件のみを選別する傾向が強いため、結果的に「ホームラン」が生まれやすいのだ。
セガ エンタテインメントの買収がその典型例だ。GENDA がまだ売上10億円規模だった時期に、売上400億円超、実質営業利益2桁億円のセガ エンタテインメントを買収できたのは、片岡(尚)社長がセガサミーホールディングスと何年も前からつながりを持ち続けていたからだ。コロナという極限状態もあったが、本質はリファラルによる戦略的必然性のある買収だったという。
そこからは量だと思います。M&Aをした瞬間、つまりDay1から企業価値を高める方法が分かる会社を買った方がよいわけですが、未知の仮説を含んで戦線を広げていく時に、量が大事になってきます(寺田氏)。
つまり、スタートアップにおけるホームラン案件の法則は「確実に勝てる戦い」から始めることだ。最初は戦略的必然性と深い理解に基づく案件で確実に成功し、その後に経験値と資金力を武器に量を追う段階的アプローチが有効だという。
一方、青柳氏が取り組んでいるのは、成功の再現性をいかに構築するかという課題だった。地域密着型のロールアップでは、単純な事業モデルの複製では成功できない。各地域の経済構造、競合環境、文化的な商慣行まで理解する必要がある。

それぞれの地域の経済力によって、1台当たりの収入や乗務員あたりの収入にある程度のキャップがかかると思っています。大阪については、どういうところで営業所を構えていくと人が集まるか、拠点戦略が見えてきました(青柳氏)。
青柳氏が大阪で確立したのは、M&A 手法そのものではなく、その地域における最適な事業運営ノウハウだった。どのエリアに営業所を設置すれば効率的にドライバーを採用できるか、どの地域なら営業効率が良いか。こうした地域特有の知見の蓄積が、競争優位性の源泉となっている。再現性についてはまだまだ答えが出ている状況ではないが見通しはある。
1社目、2社目での学びのおかげで、3社目のPMIについては必要期間が短縮されました。大阪については、何をやる、やらないの判断も結構すぐできるし、地域での再現性が見えてきました。他のある程度の都市圏についても、一定同様のアプローチで取り組めるのではと思い始めました(青柳氏)。
PMIとAI活用の現実

佐野が今回のテーマである「AI ロールアップ」の文脈で PMI について尋ねたのは、テクノロジーによる効率化と人材による価値創造をいかにバランスさせるかという問題意識からだった。
どんなに良い案件を良い条件で買収できても、その後の統合に失敗すれば意味がないし、コスト効率が変わらなければメリットが見出しにくくなる。
青柳氏が直面したのは、AI 以前の根本的な課題だった。「AI 活用の前に、PMI を現地でしっかり取り組めるかが勝負になっている」と率直に語る。
この状況に対する newmo の解決策は、徹底的な人材投入戦略だった。創業期に東京で集めたメンバーが大阪に拠点を移したり、青柳氏自身も大阪の家を借りて現地での PMI を主導している。
重要なのは、この人材配置戦略が単なる出張ベースではないことだ。
出張ベースで PMI をやっていると、徐々にメンバーの疲労が蓄積していきます。やはりローカルで働ける人を採用していって、そこに移管していくということをやらないと、サステナブルじゃないんです(青柳氏)。
そのため、家賃手当を厚くして「数年以内に現地採用にバトンタッチする」という期限を設定した人材戦略を採用しているという。一方、バズワード化しつつある AI 活用についてはその生々しい実態を明かしてくれた。
配車センターで AI エージェントが対応する比率が一定割合にまで伸びてきました。あと、現実問題として AI を活用できる部分は(全体業務の)1割程度で、劇的に活用しても少し良くなる程度です。9割の部分をやりつつ、GENDA さんぐらいの規模になって全部のタクシー会社で共通化できるようになれば、投資回収できると思います(青柳氏)。
短期的には基本的な業務改善の方が効果が大きく、AI・DX への投資は中期的に効いてくるという現実的な判断だ。寺田氏も投資家として多様な業界を見てきた経験から、AI 活用の実態については現実的な答えを示す。
AI を活用したロールアップは、すごく向いている業界と向いていない業界があります。向いているのはリーガルやアカウンティングのような分野で、100のうち80ぐらいを AI でできてしまう業界です(寺田氏)。
対照的に、フィジカルな要素が強い業界では限界もある。「レガシー産業を買収していく場合、AI で生産性を劇的に上げられる部分が10だとしても、残りの90の部分で レガシー業務に不慣れな人たちが経営すると生産性が下がってしまい、全体としては悪くなることがある」とバズワード化に警鐘を鳴らす。
生成 AI の進化により「ツールからロールアップへ」のシフトが注目されているが、現実の PMI 現場では依然として人材配置と基本的な業務改善が成功の鍵を握る。AI はあくまで手段であり、目的ではない。
両氏の経験は、テクノロジーへの過度な期待ではなく、現場の実情に即した段階的なアプローチの重要性を教えてくれる。この基本姿勢こそが、AI 時代のスタートアップ M&A において真の競争優位性を生み出すのかもしれない。
他にも、ここでは共有できないよりリアルな実情やロールアップにおける財務的にテクニカルな話も、現地参加者のみの非公開という前提で、登壇者のお二方は非常にオープンに語っていただいた。参加者からも自社の置かれた状況に関するリアルな質問(相談)も生まれ、起業家・経営者のオフラインの場ならではの貴重な機会となった。